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三歳までの子育てがやはり一番大切

子どもに当然必要なのは、愛情だと思われます。
 愛情の対義語は何だと思いますか?
 憎しみではないんです。愛情の対義語は無関心だといわれています。無関心に育てられた子は、後々、いろいろと問題が起きてきます。
 また、情緒的に未成熟な親、精神的に幼い親というのがいます。情緒的未成熟な親は子どもといつまでも一体化しようとします。そうなってくると、子どもは精神的に去勢されるといわれています。「おれは男だ」「わたしは女です」というのがなくなるそうです。
 また、情緒的未成熟な親というのは、例(たと)えば、子どもを自分が連れていきたいから、連れて行く、親になったときに、こうしたかったからやっている。それはこどものためではありません。そして、どうだ、いい親だろう、とやるんです。子どもが本当にそれがしたいかではないんです。子どもの意志を尊重するのではなく、自分がそうしたいからなんです。そうすると、子どもは親の機嫌をとらなくてはなりません。ここでは、親子は逆転しています。愛情とは、その人に自分のしたかったことをおしつけるのではなく、その人が欲しいだろうと思うものを足を棒にしてさがすようなことであると、心理学者の加藤諦三さんはいっておられます。
 子どもの頃というのは特に大切で、子どもの頃、虐待をうけたりすると、発達がおくれたり、トラウマとなってさまざまな症状が出てきます。
 また、情緒的に未成熟な親に、つまり、精神的に幼い親にそだてられたりすると、さまざまな問題が出てくることが考えられます。うつ、対人恐怖などです。
 最近の親ごさんはああしなさい、こうしなさいということを聞かせようとなさる。さらには子どもを自分のいうことを聞かせようとして、遠まわしに「これこれこうしたらいいんだけど、そうしないと知らないよ。」というようなことをおっしゃる。こういうのがあると、子どもは逆に面と向かって反抗もできません。しかし、そのハンコウできないストレスはたまっていきます。ニートや引きこもりになる子供たちはPTSD(トラウマ、心の傷)にかかっているといわれています。例(たと)えば、ある家庭があります。その夫婦、父母はお見合い結婚をして、夫は仕事で家にいません。そして、そういう家庭では、お見合いで、金銭的なことや、体裁、世間体で、みんな結婚していくからという理由で結婚している場合も多々あります。
 そうした妻、母は子どもに過剰な要求を押しつけます。例(たと)えば、「いい学校に入りなさい」などです。
 子どもの本性はわがままなんですね。それなのに、一切のわがままを子どもは禁じられてしまう。または、母親や親のために禁じてしまいます。しかし、無理して、生真面目な人とは愛されないのです。それはありのままの自分を出していないからです。そうすると、本人ももちろん、ありのままの自分を受け入れてもらえないことになります。
 それなのに親は子どもに真面目を要求しすぎるのです。
 教師や公務員の子で、補習に出ない、不登校になるお子さんがいらっしゃいます。教師が親ということでプレッシャーがあるのに、さらに、これは私見ですが、さらには、親からのプレッシャーまであるのかもしれません。「お母さん、先生なんだから、頼むよ。」とか、「勉強しなさい。」とかですね。
 しかし、こういう家では、さらには、両親が共働きで、子どもにさく時間が少ない。父親は育児は母親にまかせるものと思い、母親は共働きだとどうしても家事と仕事を両方こなさなくてはならない。そうすると、子どもにさく時間が少ない。そうすると、どうしても、子どもにかまう時間が少なくなってしまいます。
 私は、母親は少なくとも二、三歳までは、ずっと子どもを手放さず、面倒を見ること、できれば十歳までは見た方がいいと思います。
 それに、育児は両親ですべきです。
 「三つ子の魂百まで」という言葉があります。三歳までの子育てがやはり一番大切だそうです。三歳までに子どもに自己評価を高めてあげる。それには子どもに甘えさせる必要があるそうです。それは、物質的に何でも買いあたえたりする甘えはいけませんが、精神的な甘えは必要なんです。『子育てハッピーアドバイス』という本にあるように、甘えた子どもが自立するんです。しかし、前にもいいましたが、情緒的未成熟な親にはそれが難しい。また、両親共働きだと、父親は仕事で家にいない。母親は家事と仕事で手いっぱいでイライラといつもしている。そのイライラは子どもに伝わってしまうようなんです。そうすると、子どもは、そのイライラであたられたりしても、自分が悪い子なんだと思ってしまうそうです。子どもには、やはりできるだけゆとりのある母親の愛情があったほうがいいと思います。
 こういう面から見ても、両親共働きとは、難しい面があると思います。
 もし、女性で働かれるかたがいらしたら、そういうことを考えて、自分をささえてくれる男性を選んだ方がいいかもしれません。
 もともと、男性には男としての働き、女性には女性としての働きがあります。母性です。昔から連綿と受けつがれてきたものですから、それはすぐには変わらないでしょう。もちろん個人差はあります。
 子どもにしてあげるとよいことは、まず、子どもの話を聞いてあげることですね。そして、声かけをすることですね。
また、「機嫌」だけではないコミュニケーション。
子どもにあたってしまったり、子どものほうが正しかったり、子どもに無関心だったり、子どもに要求しすぎたりして、子どもに何か問題が起きてしまった場合は子どもに心から謝ることもよいといわれているそうです。
 そういった理解、共感が必要だといわれているそうなんですね。
 また、さらに、今はできちゃった結婚というのがはやっていますが、胎児のうちから子どもは親の影響を受けているそうなんです。昔は子どもは宝だといって産まれていました。しかし、今は産もうかどうしようか悩んでいる。そういうことも子どもに影響を与えるようです。もし、できちゃった結婚した場合は、より、子どもを注意深く見守り、声かけをする必要があると思います。
 また、子どもに兄弟がいる場合ですが、そういう場合は、上の子をたてるとよいといいます。そして、よけい時間もかかるかもしれませんが、上の子に下の子の面倒を見させる。こういう気づかいが必要です。
 今は、子どもに無関心だったり、逆に「ああしなさい、こうしなさい」と一方的に過保護、過干渉にしすぎる親ごさんがいらっしゃいます。そういった場合、引きこもりになったり、何か子どもが問題をかかえてしまう場合もあるようです。その場合、どうしたらいいのでしょう。
 まずは、お子さんの話をよく聞くことだそうです。本心を怒らずに聞いたほうがいいそうです。そして、あせらず、じっくりと話し合うことです。
 もし、お子さんが非行にはしったりしたら、怒るのではなく、その子の好きな手料理を作ってあげて、「よく、帰ってきてくれた。」とむかえてあげたりです。
 そして、何かしてくれたら「ありがとう」ということ。
 甘えの感情をみたしてあげること。抱きしめてあげたり、世話してあげたりです。
 また、子どもが元気になってきても、あせらないことが必要だそうです。
 お子さんが、本当に問題、うつ、対人恐怖などの問題がある場合は、カウンセラーや心療内科、そこでの処方などがあります。認知行動療法や催眠療法。
 お子さん自身は詩や小説など、読書することやモーツァルトを聞くなどの音楽療法などもあります。
 また、自分の近くにそういうお子さんを見かけたら、「がんばれ」などといわず、できる限りでも、話を聞いてあげることがよいかもしれません。見下して、「助けてあげてる。」という目線ではなくてです。
 また、家では虐待にあっている、そういう子どもがさらに「いじめ」などのターゲットになりやすいという面もあります。
 注意が必要だと思います。
 また、その子、その子で性格がちがいますから、その子のよいところはのばしてやる、悪いところは直すようにして導いてやるという姿勢が必要だと思います。あくまで導くだけです。その子本人が気づかないと意味がありませんし、その子本人がその子の意思でやったことでないと、その子の自信につながりません。その子の自信に裏打ちされていない地位などはなかなか心理的には役に立ちにくい面があります。
 とにかく三つ子の魂百まで。トップブリーダーは子犬を三ヶ月間は母犬のもとからはなさないそうです。
 バラは2シーズンは根や枝を太く強くするため、蕾(つぼみ)が小さなものでもできたらすぐにとってしまうといいます。
 こんなたとえでなんですが、とにかく小さい時、母親のもとをはなさないことが子どもを根本的に身体的や精神的に強くするのでしょう。ただし、離婚したなどの例(たと)外的な場合は別です。
 また、子育てとは、しつけ等をする以前に、愛情を注ぎ、その子はその子、自分は自分と、その子の性格などをありのまま受け入れることなどではないでしょうか。そうすると、その子の自己評価は高まり、元気でいられるのではないでしょうか。そして、その自己評価を高めるためには、母親や親が子どもをあたたかい目で見守ってやること、それが三歳までの期間で、その期間が大切なのではないでしょうか。だからこそ「三つ子の魂百まで」ということわざも生まれたのではないでしょうか。
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母性

今の母親は、母性をすてていると思う。昔は社会は父性、家は母性で成り立っていたように思う。しかし、今は社会も父性、家も父性。
 極論を言えば、今の子どもは学校に行っても、先生、家に帰っても、先生、くつろげる場所がないのではないだろうか。
 私が苦しかった時、私はある占い師をたずねたことがある。そうすると、その占い師の人は言っておられた。「だいたい、父親の愛情は女の子、母親の愛情は男の子に行くんだよ。」
 今、社会は、引きこもりの男の子が多い。そのことが母親らしい母親がいない、母性がない、今の世の中を表していると思う。そして、それが、もっと今の日本には必要だと思う。
女と母性は別ものである。女らしくあってハイヒールをはいて、赤ちゃんは危なくて抱っこできない。
 母親の一番の仕事とはなんであろうか。それは、子どもの心のケアである。お金をかけて教育させたり、ぜいたくさせたりすることが一番の仕事ではない。料理を作ってあげることももちろん大切だが、話を聞くことである。今の親は逆に話を子どもに聞いてもらっている。
 また、男の子は、父親がいないと育たないという。
 父親の重要性については、また、後に書くが、父親が育児に参加するのはとても大切なことである。もちろんその場合でも、一方的な「押しつけ」でないことが大前提である。
 「幸せのちから」という映画があります。あれが、今、日本に欠けているエネルギーではないでしょうか。
 また、「母べえ」という映画があります。あの映画のキャッチフレーズに「あなたがいたからすべてを愛せる」とあります。あの言葉の意味を現代の日本のこれから母親になろうとするような女の人はもっと考えてもいいように思います。
 私は今、フリーターになっている。以前は準引きこもりのような状態でした。フリーターの人は甘えていると、一般では思われているかもしれませんが、フリーターしかできないのです。ほんとうにこれで精いっぱいなのです。それも少しはわかってほしいのです。
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「真」「善」「美」の世界

日本はフランスのようにフランス革命をおこして自分達で自由を得ていない。上のいうことが絶対である。そして、上の人間、会社の社長などや、経済界を取り仕切っているような人が、政治家と仲がよかったりする。そうなると、政治は、経営者側やお金持ちに有利なように社会の構造を作る。労働者のことをあまり考えてくれなくなるかもしれない。そして、その政治家を選ぶのが選挙である。だから、選挙に投票した者の有利なように社会は動く。しかし、今の若者は選挙に行こうとしない。投票しない。投票の大切さを学んでいない。「勉強しなさい、勉強しなさい。」と、親は言うのに、そんな初歩的な選挙の大切さをだれも教えていない。教えてくれない。だから、若者は損をする。「どうでもいい。」などと選挙のことを口にする者もいる。私も昔はそうだった。しかし、その傾向も少しは減りつつある。よい社会をつくること。そして、もっと母性的なものを大切にすること。それが今の日本ではもっと見直されてもいいのではないか。
 ある県ではPTA関係者の要望もあり、小学校にもカウンセラーを派遣することになったようである。知事はこう話されたようだ。「いじめ件数は増え、不登校も減らない。小学校に(カウンセラーを)配置するよう前向きに努力したい」。しかし、そんなことをして、なんになるというのか。確かに大切なことである。しかし、それは、付け焼刃のことではないのか。一番大切なのは、いじめがおきないように不登校の生徒が出ないようにすることが必要ではないのか。
 教育学者のなみ川栄太さんの本の『今、母は子に何を語るべきか』には、「真」「善」「美」の大切さ、そして、「真」「善」「美」について、分かりやすく書いてあります。「
 「誠実に徹(てっ)するとき、人生において恐れるものなし」とトルストイはいったそうです。
 また、かつての親たちはこういって子どもを育てたといいます。「なにをやってもいいけど、人様だけには迷惑をかけるなよ」「おまえの好きなことをやってかまわない。そのかわり、嘘だけはつくな」。
 それが今は、「勉強しなさい。勉強しなさい。」「○○ちゃんは○○大学へ入ったそうよ。○○ちゃんは志望校が○○だそうよ。」
 その結果が、引きこもり、陰湿ないじめ事件。
 なみ川さんはこう書いておられます。「いつの時代でも、ごまかしのない誠実な人間性が、人間の幸せの基盤となるものです。今は、ある部分では、誠実な人間性などどこかに吹き飛んでいるから、不幸な時代なのです。」「親たちは一様に他人に迷惑が及ぶことや、不誠実な人生を歩むことを嫌い、「真」「善」「美」の世界で一生を終えることを、人間が歩むべき道だと心得ていました。」「最終的に戻るところが、誠実で嘘いつわりのない、「真」「善」「美」の世界だったのです。このことに対して、親たちは非常に厳しかったのです。これを今、母親が自分の姿や行動を通して、子どもに伝えて欲しいと思います。価値観が多様化していて、物事の本質を見抜きにくくなっている時代に、子供たちが翻弄(ほんろう)され、一本筋の通ったバックボーンを持てないでいます。」
 私がこのことを、子どもを三歳までよく面倒を見たほうがいいこと、子どもによけいな期待をしたり、過干渉にしないほうがいいなどのことをひとに伝えようとしたとき、カウンセラーの人に無駄だと言われました。「そういう人たちは言っても、とりあわない。そして、子どもが引きこもりや「うつ」、対人恐怖症や、非行に走ったときになって、やっと気づくんだよ。」
 そうなってからでは遅いのである。
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父性社会、競争原理

ある女性がいるとする。その女性はきれいになろうとする。それならば、別にいい。しかし、「あの人よりきれいで、いいくらしで、あの人よりいいものを持ちたい。」と思っているかもしれない。その考え方は、母性らしい考え方とはあまりいえない。むしろ、その競争原理というものは、男、父性のもつものである。母性には相反する、対極に位置するものになる。
今、女性の間では、そういう「あの人より」といった考え方が横行しています。別にその考え方を自分だけで持っている分には別に全くかまいません。しかし、問題になる場合は、次のような場合です。「○○ちゃんの家の○○ちゃんは、○○という学校に入った。だからあなた(子ども)は、もっといい学校に入りなさい。」そういう母親が、また、子どもをいい大学に入れようとして、子どもが犠牲になるのです。
これでは子どもはたまらない。女性の母性欠如は恐ろしい。そして、こういう女性にかぎって、子どもを抱きしめない。だっこしない。母乳をあたえない。そして、自分は外で働きたがる。
そうなると、子どもはたまりません。
子どもを私物化しています。本当の子どもを見てくれない。その子どもを一人の人間として、「個」の人格として見てくれない。その子の本当の姿には無関心(・・・)なのです。それなのに、自分の要求はおしつける。子どもはたまらない。精神的虐待はする。家の中でも子どもは休まるひまがない。だから「うつ」になる。心に問題を抱える。いじめをする。または、いじめられる。だれも幸せにならない。
また、また、一方で、長男に、上の子に期待をかけすぎる親も多い。その上しかる。子どもは萎縮(いしゅく)する。くしゅとちいさくなる。その上、プレッシャーを感じている。そして、何か一つだめになると、まるで全否定されたかのような挫折(ざせつ)、敗北感を感じてしまう。
また、下に子どもがいた場合、長男だから、上の子だからと、何でも我慢させたり、下の子の面倒ばかり見る場合が多い。昔は「下の子が生まれたら、上の子をたてる。」という教えがあった。
そういう教えが受け継がれていた。しかし、今はそれがない。それも問題である。
また、何ごとも、「程のよさ」というものは必要である。「過ぎたるは、及ばざるが如し」という言葉がある。まさに、その通りである。しかし、愛情に関しては別であろう。愛情が多くて多すぎるということはないと思う。
この場合、愛情が一方的な「押しつけ」、おもわくになっている場合は別であろう。それは愛情ではなく、個人の思いである。それだけは気をつけなければ成らないのではないだろうか。
また、下に子どもがいた場合、長男だから、上の子だからと、何でも我慢させたり、下の子の面倒ばかり見る場合が多い。昔は「下の子が生まれたら、上の子をたてる。」という教えがあった。
そういう教えが受け継がれていた。しかし、今はそれがない。それも問題である。
また、何ごとも、「程のよさ」というものは必要である。「過ぎたるは、及ばざるが如し」という言葉がある。まさに、その通りである。しかし、愛情に関しては別であろう。愛情が多くて多すぎるということはないと思う。
この場合、愛情が一方的な「押しつけ」、おもわくになっている場合は別であろう。それは愛情ではなく、個人の思いである。それだけは気をつけなければ成らないのではないだろうか。
確かに、今、社会は競争原理が横行している。男は美人ばかりひいきする。かくいう私ももっと美人になりたい。それでも、女性は優しさを失わない方が社会のためだと私は思う。わたしはそんなことをいえるほどの人間ではないだろう。しかし、それでも、それが社会のためだと思う。
今の社会は競争原理の社会、父性社会である。「易学」の世界には陰と陽という考え方があります。世界は陰と陽のバランスで成り立っているという考え方です。
世界は陰と陽、両方でできている。どちらかのバランスを欠いても世界は成り立たない。陰は母性、陽は父性にあたるだろう。
女性はいても、社会は母性にかけている。それでは世界はかたよってしまう。いろいろ問題が出てくる。それこそが、今のニートやフリーター、引きこもりや心の問題ではないのか。
いい生活とは、お金のある生活ではない。生活に困らないことも大切だが、幸福な生活のことである。
愛されなかった子、愛情剥奪(はくだつ)がある子、親に気を使って生きてきたような子はだれからでも、みんなから愛されようとする。みんなにいい顔をする。質の悪い、誰かから何かを搾り取ろうとするような人間にまでいい顔をしようとする。しかし、そんなことはできるわけがない。だから、いじめられる。いじめのターゲットにもなる。苛めるような人間を質の悪い人間だといって無視できなくなる。
そして、子どもが小さい頃に充分に愛情をそそいでやらないと、心身ともに成長が遅れる。そして、大人になった頃に、思春期をむかえたり、幼児のようなふるまいをしたりすることになる。いや、身体は大人だが、充分に愛情を受けていないため、心は幼児なのである。そして、大人になってからだと、成長が遅くなっている。大人になった頃に思春期をむかえたら、その分、時間がかかることがあるかもしれない。
だいたい、今の社会は父性社会、競争原理で、社会全体が厳しすぎる。何に対しても厳しくなりすぎている。利益を追求しすぎて二十四時間もコンビニエンスストアを開き、働いている自分は夜も眠れない。社会を厳しくして、便利にして、自分で自分の首をしめている。厳しくしすぎて込めつきバッタのように働かされている。しかし、お上には逆らえない。厳しくて、家に帰ってくると、夫は妻にあたるかもしれない。そして、その妻が子どもにあたるかもしれない。そして、さらに「勉強しなさい。」などとばかり口にする。そして子どもは引きこもっていく。
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ばらのつぼみ

いまどきの人はあまり見ないかもしれませんが、昔の映画の名作に『市民ケーン』という映画があります。この映画は、子どもの頃の愛情剥奪(はくだつ)によって、富、お金は得ても不幸なまま人生を終える人の話です。この映画の主人公は人生で、ときおり「ばらのつぼみ」という言葉をつぶやきつづけます。そして、その死の直前でもその言葉をつぶやいて亡くなっていきます。ある新聞記者が、その「ばらのつぼみ」について調べますが、結局はその新聞記者にはわかりませんでした。しかし、映画の最後の場面で、「ばらのつぼみ」の謎は解き明かされます。「ばらのつぼみ」とは、その大富豪の主人公が子どもの時、あそんでいた橇(そり)の裏に書かれたイラストだったのです。その大富豪の主人公は、幼いときに両親から何も教えられず、養子に出されてしまったのでした。「ばらのつぼみ」とは、その主人公の幼少時代の幸せだった家庭の象徴だったのです。
昔の人は言いました。「親しき仲にも礼儀あり」。しかし、「親しき仲にこそ礼儀あり」、かもしれません。
『市民ケーン』の映画では、主人公は何も事情を話されずに養子に出されていました。人と人との間での礼儀として、あの場面では、きちんとした説明があったほうがよかったと思います。たとえあったとしても、養子とは、それでも重いぐらいの事だと思います。
小さい頃、愛されなかった、や、愛情剥奪(はくだつ)があるなどの場合、『市民ケーン』の映画それぐらいの影響を受ける可能性があるということだと思います。世の中で恐ろしいのは人殺しです。しかし、それより恐ろしいのは詐欺(さぎ)師です。しかし、さらにそれ以上に恐ろしいのは女です。
詐欺師は名前だけを聞くと人殺しより恐ろしくないような気がします。しかし、詐欺師とは人の心を蝕(むしば)みます。
例(たと)えばある人が詐欺師にあったとします。その人は中小企業を経営していたとします。その人が詐欺師にあうとします。そうして、会社の金を持ち逃げされたとします。そうすると、その人はお金で首が回らなくなります。そして、その人は本当に首をつってしまったとします。そうすると、家族は当然苦しみます。無力感にさいなまれる。その中小企業の従業員も苦しむでしょう。しかし、詐欺師の方は逃げて平気な顔をしている。そして、詐欺だから殺人のように法律で立件できないかもしれません。そこには、その経営者の家族、従業員の無力感と絶望感だけが残るのです。
しかし、一方で、また、ある女性がいるとします。その女性は子どもを生みました。そして、その子どもに精神的な虐待を加えたとします。抱っこをしませんでした。母乳も与えず、世話はそこに哺乳瓶(ほにゅうびん)を転がしておくだけで、子どもの面倒はテレビにまかせました。子どもに話し掛けたり、コミュニケーションを取ろうとしませんでした。そうして子どもが育ったとします。そうして育った子どもは、しつけを受けていないから、善悪、正しいこと、悪いことの区別がつかない。そして、子どもは自己中心的になったとします。
そして、自己中心的だから、自分に都合の悪い人や面白半分で人を殺すようになるかもしれません。連続殺人犯になるかもしれない。
殺された遺族はたまらない。連続殺人犯に「なぜ?」と問い掛けるでしょう。殺人鬼は「おもしろかったから。」と答えるかもしれない。殺された家族は問い掛けます。問いつづける。「なぜ」と。そうして、遺族のこころは蝕まれていきます。無力感にさいなまれます。悔しさにうちひしがれます。その家族は殺人鬼を恨みます。恨みつづけます。また、連続殺人鬼だから、そんな家族を何家族もうみだすかもしれない。残された家族はたまらない。
善悪を教えない、母性のない、子どもの面倒を見ない母親はそんな人間を育てることができるのです。母性の欠如した女性は恐ろしいです。母性的なものを持った誰かに育ててもらえなかった子どもは不幸である。そんな恐ろしい殺人鬼にならなかったとしても、「うつ」になるかもしれない。「うつ」までいかなくても、心に病をかかえるかもしれない。
『FBI心理分析官』という本によると、猟奇殺人犯になるような人物の家庭というのは、たとえ、外からは正常に見えても、実際は子どもの時にはなはだしい精神的虐待を受けているというのです。いま書いた、「世話はそこに哺乳瓶(ほにゅうびん)を転がしておくだけで、子どもの面倒はテレビにまかせきりにする」場合などがそのようです。このような『FBI心理分析官』にのっていたような社会が、日本にも、今忍び寄ろうとしているのではないでしょうか。それは恐ろしいことです。
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愛されたい、甘えたいー

まず、先ほど私が書いたように、私がここで言いたいことは、つまりは、子どもは三歳まで、できるなら十歳ごろまでは母親は育児に集中したほうがいいということです。そうしないと、その子どもが非行に走ったり、うつになったり、何か問題を抱えた子になりやすいということです。また、表面上、その子どもは問題を抱えているように見えなくても、その子どもが大人になったときに、精神的に幼い大人になる可能性が高くなるからです。
そして、また、さらにいえば、その精神的に幼い大人が親になったとき、その精神的に幼い親が、子ども、つまりは、孫が生まれた時に、孫に甘える可能性が高くなるからである。
「愛情剥奪(はくだつ)」ということがある。「愛情剥(む)奪」とは、幼少期、子どもがまだ、特に、二、三歳にも満たない幼いときに母親、またはそれにかわる人がいなくなることです。「愛情剥(む)奪」がおこった子は低い自己評価を持つようになります。つまり、二、三歳という何もできないときに、ずっと世話してもらえる、ということがないと、自分がただいるだけでいい人間だと思える、それがない、ということでしょう。そうなってくると、自分を許せない、自分を愛せない、だから、他人も許せない、他人も愛せない、そういうことになるのではないでしょう。
そして、そういった人が、気づかないうちに精神的に幼い大人とでもいうような大人になってしまうのではないのでしょうか。
精神的に幼い大人というのは、「愛されたい、甘えたいー」という欲求が満たされていないのです。「甘えたいー」という欲求が満たされないで大人になると、その人は、「甘えたいー」という欲求が満たされていないから、それを大人になってからも何かの形でみたそうとするのです。
そして、それは、素直に誰かに甘えたりすればいいですが、そうではなく、例(たと)えば、仕事に打ち込むことで、仕事で地位などを得ようとすることで、「ありのままのなにもない自分でもそれでいいんだ。」となかなか思えないことを埋めようとする場合もあるようです。
または、「甘えたいー、何かによりかかりたい、自分を認めてもらいたい」という子どもっぽい欲求を満たそうとして、自分の子どもに料理を作り、子どもに「おいしいね」といわせようとするかもしれないのです。これは子どもにはキツいです。子どもだって、子どもなのですから、本来はその子どもが母親に甘えたいし、よりかかりたいし、認められたいのである。しかし、逆に、子どものほうが親に甘えられているのです。それは子どもにはキツいです。
さらにいうならば、精神的に子どもの心が充分満たされてなくて、仕事に打ち込んで、地位や権力を得ることで、自分の「認められたい、何かによりかかりたい」願望をもつ女性、そして、さらには「精神的に幼い大人」がいたとします。その人が、母親になったときに、せめて、子どもが三歳になるぐらいまで、その人が育児に集中してくれればいいですが、そうでなかったときはどうでしょうか。
その子ども、つまりは、孫が、さらに、また、「甘えたいー」という気持ちをもったまま、または、「自分はありのままでも、なにもできなくても充分に大切にしてもらえるんだ。」という気持ちをもてないまま、幼少期をすごして、大きくなってしまうことになるのではないでしょうか。
さらには、その、三歳ごろまで面倒を見てもらえないその時点で、充分に「甘えたいー、認められたいー」という願望を、その孫は満たされていないのです。しかし、それにもかかわらず、さらにはその母親、つまりは子は、自分の「認められたい、何かによりかかりたい」願望が強いために、仕事ばかりのことを考えて、あまり自分の子ども、つまりは孫に関心を持ったり、スキンシップをとったりしない可能性も高いです。
しかも、その孫は、母親(子)には精神的によりかかられていて、その母親は自分のことを見てくれていなくても、例(たと)えば、母親が料理を作ったときには、たとえ料理がおいしくなくても「おいしいね。」といわなければならないのかもしれないのです。
そうなると、子どもはもっとツラい。三歳ぐらいまでは、子どもは自分では何もできません。母親に面倒を見てもらうことが必要になってきます。それは、動物、サルなどの世界でも同じです。自分がなにもできない、「甘えたいー」というときに、だれか、それもできれば母親のような人が四六時中面倒を見てくれて、何かあったら、「大丈夫?」と声をかけてくれる、なでさすってくれる、自分に注目してくれる、自分のことをよく見てくれている、なにもできなくても大切にしてもらえる。そうなると、子どもは「自分は自分でいいんだ。」と思うようになる。それが自己評価につながる。
昔の日本は、それがあたりまえだったのではないでしょうか。昔の人は母親が面倒を見るのが普通だったから、自然と自己評価が育ったのではないでしょうか。
ほめるなどということも大切なことではあります。しかし、子どもは自分が何でもないときに、ずっとそばにいて、自分に気づいてくれて、面倒をみて、抱きしめてくれることは、子どもにとって自信、「自分は生きていていいんだ。」という自己評価につながるのだと思います。今、見直されている、おごり高ぶった意味とは別の、子どもの「自己評価」の高さ、それが昔はあたりまえだったのではないでしょうか。
そして、その上にしつけがありました。
今の人は、そのあたりまえのことがなくなっているから、子育てが難しくなっているのではないでしょうか。
人間も動物です。動物はきちんと子どもの面倒をみて、子どもを自立させていきます。動物である人間が人間として生きていく上で、そのことはもっと大切にされていいように思います。特に人間は動物なら本来、おなかにいるはずより、一年間、先に生まれてくるといいます。そのおなかにいるはずの一年間、さらに、その後の二、三歳までの育て方が、子どもの無意識の部分にすりこまれる気がするのです。
マザー・テレサがおっしゃったそうです。「愛情の反対は無関心である。」と。特に子どもが二、三歳になるまでは、親の愛情は特に、重大な意味をもつような気がします。
その間の愛情がその後の人生にも重大な意味をもつと思います。
もっと、今の日本ではそういうことが大切にされ、人々の間でも、もっと知ってもらうことも大切なことなのではないでしょうか。発達心理学からみても二、三歳までは非常に重要な期間です。
その点からみると、今、何年かすると、母親、女性が共働きで社会進出するパーセントが50%を超えるということには危険を感じずにはいられません。もちろん、ただ、専業主婦がよいと思っているわけではありません。社会に出て、仕事でえらくなって出世して、自分の「認められたい願望」を満たす代わりに、子どもに甘え、よりかかって、「いい学校に入りなさい。」と言うなど、子どもを自分の「認められたい願望」の道具にするなどはあってはならないことだと思います。
しかし、そうではなく、本当に、本当の自分が見守ってもらえる、心配してもらえる、いつも見てもらえて、なにかあったときに気づいてもらえ、「大丈夫?」と声をかけてもらえる、ということは、子どもが成長するのには大切なことのような気がするのです。
何度もいうように、今の子ども達の問題、子育ての問題、ひいては社会の問題は、次の二つのことにまず問題があるのではないでしょうか。
一つは、三歳ごろまでの大切な時期に母親が子どもの世話をせず、保育園にあずけてしまうこと。できれば十歳ごろまで、母親がいて、よく子供の面倒を見ないこと。
そして、もう一つは、親が自分の理想をかなえるために子どもを一人の人間としてみないで、期待、プレッシャーを与えてしまうこと。
下手をすればその両方ではないでしょうか。
そして、そのことから生まれる不幸を、親、ひいては、親になるような人達がしらなすぎること、知っていても、軽く見すぎていることだと思います。それがあると、将来、家庭はめちゃくちゃになります。
子どもが少し非行に走ったぐらいならまだいいほうではないでしょうか。子どもが学校に行かなくなる、家庭内暴力をおこす、精神安定剤を飲みだす、少しぐらいではすまないグレ方をする、そうなってからではおそいのです。小さな子どもの時とちがって、回復には時間がかかるかもしれません。小さいときに、少し手間をかけて、世話をしてあげ、愛情をかけて育ててあげればそんな悲劇はふせげたのではないでしょうか。そのことをもっといろんな人に知って欲しいのです。
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「人生最上の幸福は自分自身のいかんにかかわらず愛されているという確信である。」ユゴー

精神的に問題を抱える子ども、さらには大人、大人になりきれない大人、その問題は、幼少時に無関心、無関心または、その人が大人、親にその子の個、個性を尊重されず、ものあつかいされている場合にあるように思います。ものというのは、親が子どもを自分のもののようにあつかう、それに似たあつかいをしてる場合を含みます。子どもを自分のいいなりにしたがる場合などです。
 無関心な上に、さらには、自分のものあつかいされ、個を大切にされなかった場合、精神的に問題をかかえる場合が多いのではないでしょうか。そして、その子どもを自分のものあつかいしてしまう親の一部は,その親自身が親から、充分愛情を受けなかったことからきているのではないでしょうか。その愛情飢餓感、甘え、依存の欲求、情緒的未成熟が子どもを自分のものあつかいしてしまう原因となっているのではないのでしょうか。
 そのような状況をまず防ぐためには、まず、少なくとも、子どもに無関心である状態や、子どもに手間をかけない親をうみださないこと。そういうことを子どもにしてしまうと、後々、自分が、そして、自分の子ども、孫が苦労をしてしまうこと。そのことを知る必要があるということ。また、子どもをものあつかいしてはいけないということを知ること。子どもをものあつかいしないとはどういうことかを知ることがひつようなのではないでしょうか。
 単純にいえば、人間は年が若ければ若いほど、愛情が必要で、0歳~二歳になるころまでが特に大切で、そのころに愛情を注いであげないと、分裂病や「抑うつ」などの重い精神病にかかりやすいようであること。また、その後も四歳ごろから思春期をすぎて終わるごろまでにも十分に甘えさせてあげて、愛情をそそいであげないと、対人恐怖症や、強迫神経症といった神経症にかかりやすくなること。
 そして、それをふせぐためには、やはり特に小さいころは小さければ小さいほど、お母さんが、子どもを甘えさせてあげること。スキンシップ、抱っこ、おんぶなどをして話しかけたり、話を聞いてあげることが必要であること、ということです。
 それがないと、たとえ、表面上は、精神病や神経症の症状が出なくても、心が大人になりきらないまま、子どもは大きくなり、結婚する、子どもを産むなどすると、今度はその甘えたりなかった、甘えたりないという欲求を奥さんや子どもにぶつけるようになり、奥さんは苦労するし、その子ども、つまりは孫の代になって、子どもがうつ病や神経症といったさまざまな問題を出してしまうこと。つまりは、身体が大人でも、心が子どもである人が子どもを育ててしまい、その子どもに問題が出てくるということなのです。
 しかも、難しいのは、子どもの時、甘えたりなかったという欲求はそのまま、自分の子どもに甘えようというストレートな形ででてくるのではなく、自分が子どもの時に旅行に行きたかったから、子どもを旅行に連れて行き、「どうだ、いいお父さんだろう、いいお母さんだろう」と子どもの気持ちを無視して、やることにあります。それでも子どもはよろこばないと親がふきげんになるので、子どものほうが気をつかわなくてはならないということになります。それだけではなく、親は支配的になったり、権威的になったりすることもよくあります。それだけでも十分子どもにとってはプレッシャーが大きいのです。自分が甘えたい盛りなのに親のほうが甘えてくるわけですから。これで子どもはうつ病や神経症になってしまいます。
 今、起こっている引きこもりやニートなどもこれが原因ではないかという気がします。
 テレビ番組「幸せって何だっけ」という番組で、引きこもりになっている子どもについての相談について、「自由がなくなったんですよ。」親が子どもをしばりすぎた、と細木数子さんは答えておられました。
 また、たとえ、これで、うつ病や神経症にならなくても、その子の悲劇はこれでは終わりません。その子どもは、支配的な親、権威的な親、押し付けてくる親からそだてられているから、従順になっています。従順になっているということは、「いじめられる体質」になっているということです。社会に出ても、その子はいじめられる可能性が高いということです。学校に行っても、その子は苛められる可能性があるということです。
そうなれば、やはり引きこもりになったり、対人恐怖症になったりする可能性が出てきます。子どもや、ひいては孫がそうならないためには、やはり、幼少期の甘えの欲求依存の欲求を満たしてあげ、愛情で満たしてあげ、情緒的に成熟させてあげて、自立させてあげることが必要なのではないでしょうか。
昔のお母さんは、子どもを背中におぶって、子守唄を聞かせてあげた。そして、子どもにやさしく話しかけてあげた。外にはすすきの穂が揺れていた。夕やけの中をお母さんは歌を歌いながら歩いた。
そういうものがなくなって、女性が社会進出し、高度経済成長の中、自然が世の中からなくなっていき、親が子どもに「いい学校、いい大学、いい就職」というようになってから、フリーターや引きこもり、ニート、対人恐怖症や「うつ」のような問題、親が子を殺す、子が親を殺すような事件が増えてきたのではないでしょうか。
その世間の現状が答えなのではないでしょうか。
人はなぜ不安になるのでしょうか。それは小さいころ幼児的な願望が満たされていないからではないでしょうか。
幼少期に、ただ、愛情が十分に満たされていない人はいいようのない不安を感じるのではないでしょうか。
それなのに、それでもまだ、依存の欲求、甘えの欲求、愛情で子どものころから、特に幼少期、二、三歳ごろまでに満たしてあげようというお母さんを、なぜ、社会はもっと増やしてあげようとしないのでしょうか。
お母さん、ひいては女性、男性、世の中もそういうことを大切にしないのでしょうか。
そういうことをもっと社会で、特に今から結婚して子どもを産むという女性の方に知ってもらう社会政策が必要ではないでしょうか。
三歳ごろまでは、やはり、母親がずっと、子どものそばで、赤ちゃんといっしょにいてあげることは大切なことなのではないでしょうか。
社会心理学者加藤諦三さんの本には「一番よくないのが支配された子ども、次が無関心にされた子ども、次が愛された子ども」というような文章があります。
しかし、その支配するような親、そういう親をうむのは何でしょうか。それは、世間の風潮や、その親が子どもの時、親に無関心にされた、幼少のころ、甘えの欲求、依存の欲求が満たされなかったからではないでしょうか。愛情に満たされなかったからではないでしょうか。(その欲求を子どもにぶつけるからではないでしょうか。)
そういう親をうみださないためにも子どもが小さいうちは、極力、子どもを二、三歳ごろまでは手もとからはなさずに育てた方がよいのではないでしょうか。そして、愛情をそそいであげることが必要なのではないでしょうか。
それが、孫子の代まで残せる遺産になるのではないでしょうか。
それはもちろん、子どもを虐待してしまう場合などの場合は別だと思います。
また、男女が逆で働きたい女性の場合は、ささえてくれるような、そういうご主人を探せばよいと思います。
しかし、昔から連綿と伝わる男女の役割というものがあると思います。
そして、その役割、女性が母性というものを放棄した時、社会というものがめちゃくちゃになるのではないかと心配です。
子どもはやはり、小さい時、0歳~三歳ごろには、一対一ぐらいで面倒を見て、愛情をかけて育ててくれる人が必要なのではないでしょうか。それが充足感となって、後々の人生にも強く生きていける糧(かて)となるのではないでしょうか。
そして、逆にそれがないと、人生を生きていくのにもいいようのない不安感を感じて、権力を求めたり、支配的になったり、精神的に不安定になったりするのではないでしょうか。
私はそれをなくすためには、やはり、「三つ子の魂百まで」、三歳までの子育てを本当の愛情をかける必要があるのではないかと思います。
本来は、子どもは三、四歳まではよく面倒を見て、思春期以降あとは自立するように見守る。人は自分で行動することで自信をもつようになるので、それを見守るというかたちだったのではないでしょうか。
子育ては「ボランティア」なのだそうです。
しかし、今は、一歳ごろから保育園にあずけてしまう。自分の思い通りの子どもにしようと「いい学校、いい大学、いい就職」と押しつける。自分が子どものころやりたかったことを子どもに押しつけて恩着せがましくする。これでは本来と逆な気がします。
これを読んでいる人にはそのことに気づいてほしいです。
ある女の子が言っていました。
「親はある程の年齢まで、いろいろなことを教えてくれて、あとは自由にさせてほしい。」
最近の親は、少子化の影響もあってか、子どもに過大な期待をかけすぎたり、過干渉、過保護だと思います。

「人生最上の幸福は自分自身のいかんにかかわらず愛されているという確信である。」ユゴー
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引き寄せの法則

 私の言いたいことを簡潔にまとめるとすれば、子どもは少なくとも、二、三歳までは、本当の愛情を注いで、抱っこなどしてあげないと、子々孫々にまで悪影響が残る可能性があるということです。
 何も三歳まで学習塾めいたところにかよわせたほうがいいということではありません。私はむしろ、その点については逆効果のことすらあると思っています。
 濤(なみ)川栄太さん著の『子どもは「抱きしめて」育てなさい』には、「自殺志願の子どもというのは、圧倒的に自分の心を閉ざす傾向や対人恐怖症であるケースが多い。それからドキッとするような現実に「母性喪失」がある。母親からの母性愛が非常に欠落している場合多く見られる。」と書いてある。母性の喪失。これこそが現代の日本の問題なのではないだろうか。
 私のこの著作は、子育て、育児は、「三つ子の魂百まで」であること。0~二、三歳ごろになるまでに愛情が得られないと、子どもは精神病になる可能性が高くなり、四~十歳ごろまで、親の愛情が得られないと、子どもは神経症になる可能性が高くなること。そして、子どもには愛情が必要であり、愛情とは所有することや独占することとは違い、私はむしろ、子どもは子ども、自分は自分と思わなければならないこと。そう思わないで子育てすると、親も子も育てる方も育てられる方も不幸になること。そして、それをいまから子育てをしようとする人、独身の女性やその他、できれば男性にもしってもらうこと目的としています。
 ウィリアム・W・アトキンソンさんの『引き寄せの法則』という本があります。
この本には、人には念というものがあり、なにか、人が思うことにより、そのような状態を引き寄せることがあるという法則です。
 ところで、心理学者のエリクソンという人は人間の乳幼児期(口唇期ともいい、だいたい一歳半ぐらいを指す。)に得なければならない課題として、基本的信頼をあげています。つまり、子どもは生まれてから一歳半ぐらいまでに、周りの人を信じ、何より自分を信じること、自己肯定感を得ることで、その子は成長していけるということです。ですから、子どもは特に生まれてまもない、あるがままのその子を受け入れてもらえるということが大切になってくると思うのです。泣いたらすぐオムツを変えてもらえる、ミルクをもらえる、あやしてもらえる、抱きしめてもらえる、なによりも、愛情をかけてもらえる。
 しかし、もし、その大切な期間、0歳~1歳半ごろまでに十分に愛情がもらえなかったら、その子は、無意識のうちに、人間不信におちいり、自己肯定感が築けず、「どうせ私なんか」とどうしても思ってしまっていたら、どうだろう。その人は自分では思わぬうちに孤独になり、「どうせ私なんか」と思うような不幸な人生を歩むことになってしまうのではないか。幼少期愛情がそそがれなかったために。
 ちょっと子どもを幼少期にあずける、そんなことで、こんな残酷なことをあなたは子どもにしているのだ。
 乳幼児期に甘えることを否定された人はそうそう希望をもつことにも困難になるし、満たされなかった甘えに未練を持ちつづけ、その依存症からなかなか抜けきれずに、周りの世界に対してなにか自分を閉ざしてしまうような傾向があるそうである。
 ちなみに、矢野喜夫さん・落合正行さん共著の『発達心理学への招待』には、心理・社会的危機/基本的信頼対基本的不信、重要な関係の範囲/母親的人物、中核的病理・基本的な不協力傾向/引きこもり、と書いてあります。
 この著作を読むことで、幼少期の子育ての大切さを考えてもらい、子どもは子ども、自分は自分と思い、少しでも子育てに興味を持ってもらい、間違った子育てをする人が減り、世の中に起こる不幸が減ればこれ以上にうれしいことはありません。

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三つ子の魂百まで

私は今の子育て、育児の問題、いまどきの子どもたちの問題の原因には、大きく分けて二つあると思います。
一つは、母親が不在で、子どもの大切な時期、特に三歳ごろまで、また、次に大切なだいたい十歳ごろまでの間に、母親の愛情が十分に注がれていないこと。つまり、両親が共働きで、保育園にあずけてしまうなどの場合があると思います。そのあずけられている間、子供は真の愛情を十分にそそがれていないことになります。
二つ目は、親がその子を一人の人としてみていないこと。
つまりは、親の一方的な期待で東京大学に入ってほしいなどで、子どもの「個」を無視していることなどです。または、過期待、過干渉(かまいすぎ)にしすぎている場合などもそうです。子供ができることでも、母親が先回りしてやってしまい、子供自身に自分に対する自信が生まれないなどです。悪い場合は、母親は何事に対してもやり方をおしえず、子供はやり方をおしえてもらっていないから失敗したのに、叱られる場合もあります。子どもにはおしえてあげて、できたらほめてあげるのがベストなのに、教えもされず、それでできなかったらしかられる、下手をすれば親にバカにされるということを親は子どもにやってしまっているのではないでしょうか。そして、それなのに勉強では「いい学校に行け。」と言い出します。
ソニー創業者の井深大さんは、子育てについて、「嫌がることを無理に詰め込もうとすると、性格にゆがみが出る。」といいます。そして、音楽家ベートーベンについての話を書いておられます。
ベートーベンの父親は宮廷礼拝堂の楽士だったそうですが、大変な酒のみで、かなり厳しい特訓をベートーベンにしたといいます。その指導ぶりは酒びたりによる狂喜に満ちていたように見えたといいます。ベートーベンはその後、耳の病を自覚するにつれ、極度の人間嫌いになり、あこがれの女性と結ばれることもなく、生涯を独身ですごすという不幸な人生を送ったといいます。
ベートーベンの名は後の世に名を残す有名なものです。しかし、こういってはベートーベンに申し訳ないかもしれませんが、後の世に名を残すような人になっても不幸な人生を送るより、名など残らなくても真の愛を知り、幸せに暮らして欲しいと願うようになれることが真の親としての役目ではないでしょうか。
井深大さんは書いておられます。「ベートーベンの不幸な一生は幼児期における父親の影響とけっして無縁ではないでしょう。」
私は井深さんは二、三歳ごろまでは親からの押しつけが必要と書いておられますが、そのことについても、トイレのしかたとか、くつの履き方とか、生活に必要な基本的な教育、または、絵本の読み聞かせなどの必要だと思われるような教育が、まず、大前提だと思います。そして、先ほども書いたように、親がきちんと「愛」を注いで挙げること、特に三歳ごろまでは母親がずっと子どもの面倒を、愛情を持って見守ってあげることが必要だと思います。それほど、特に三歳ごろまでの子育ては世間一般で思われているよりも本来は、ずっと大切なものなのではないでしょうか。
単純に言えば、三歳まで、愛情をそそいでやらないと、「どうせ私なんか」「どうせ僕なんか」というのが無意識の部分にしみつく。そして、その子の無意識の部分がマイナス思考になる。そして、無意識にでも、それが態度に出る。
人は自分が思ったことを引き寄せるちからがあるという。
その思うことがマイナスのことを考えてしまう。だから人生もうまく回らない。
三歳ごろまでにきちんとずっと抱きしめないと、無意識の領域で、自分に自信がない、人を信じられない、だから、自分ではどうしようもなく、「うつ」になったり、対人恐怖症になったり、ひきこもりになったりするのではないでしょうか。
小説家へルマン・ヘッセの小説に『知と愛』という本があります。愛が無くては子どもはなかなか育ちません。人はきっと生きるのがつらいでしょう。愛が強ければ、子どももよりいっそうかわいがれます。また、一方で、知らないということは人を不幸にします。三歳までの子育ての大切さを知らなかったり、子どもに「勉強しなさい!」などといって、過干渉に、厳しくしすぎることの不幸を知らなかったら、親も子も不幸になるのです。そういうことをもっと知って欲しいのです。
また、幼児教育に詳しい井深大さんの本にはこうあります。
「いい母親とは、いい子を育てようという強い意志と愛情をもった親である」
この著作をみた人には、ぜひ、そのような気持ちを持ってもらいたいのです。
ジャニーズ事務所のアイドルに「Hey!Say!7」がいます。そのグループの歌に、「Hey!Say!」というものがあるが、その歌詞の中に、「意味ないよ 君はそのままが一番」という歌詞がある。この歌詞が、今の子ども達が、親にかけてほしい言葉ではないのだろうか。

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長期的に見ると 仕事面でも

長期的に見ると、父親が子育てに参加すること、家事を手伝うとかいうことではなく、子どもをかわいがること、子どもときちんとスキンシップして子育てに参加することは、家庭生活でも、仕事面でもよい影響をもたらすという調査結果が出ているらしいですよ。

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